ソファストーリーズ
ソファはいつも暮らしのまんなかにある。
一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい
ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。
四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。
陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。
それぞれのソファに織りなす物語。
往復書簡。息子より、
34年をソファに込めて
この2週間、平日の仕事後と休日を使って、僕はあるものを仕上げていた。「背景」「方法」「結果」「考察」という4つの小見出しをつけ、論文仕立てに。 レファレンスとして写真もたくさん入れ込み、どうやったら二人を説得できるのかを考え抜き、丹念に練っていく 。自分の意見や考えを相手に伝える最高の手法が、学術論文だ。淡々と問題提議をして事実と意見を伝え、最後に少しだけ気持ちを込めた。
「いままで必死に“親”をしてきて、二人ができてないこと。」
僕は、両親を説得したかった。僕や兄が独り立ちをしてからもずっと二人が住んできたあの家を、これからの二人のためにリフォームをしないか、と。方法論は、具体的に書くのがよい。職業柄、そんなことを考えながら、リフォーム事例や予算など現実的な例をいくつもあげる。「夢のような話」と両親の距離を、グッと近づけなければならない。
・・・
昨年の春の終わりはまだ、会えなくなった両親に「何を贈ろうかなあ」と考えていた。コロナ終息どころか自粛モードの一途を行き、“おうち時間”という言葉が増えていった頃だ。もともと、夏には僕ら夫婦と両親で石垣旅行を予定していた。1年も前からいろいろと算段をたてていたので、みんなでだいぶがっかりした。楽しみが白紙になって目に見えて寂しそうな両親に、二人が心を寄せられるものを探していた。非日常を感じる、お取り寄せグルメ? リゾート気分になれるDVD?
おうち時間… おうちに何があれば… おうち… お家?
待てよ。家自体が様変わりすれば、数年は新鮮な気持ちで楽しいのではないか。リフォームだ。二人に必要なのは、きっとリフォームだ。暑さが増してゆき、夏。僕は一気に提案モードへ突入した。
勢いに任せてただ熱心に語りかければ良いわけではない。「必要ないもの」と言われたら何もはじまらない。まず僕は「転倒リスクを考える年齢になったよ」という、非常に現実的なところからアプローチすることにした。両親は兄夫婦の子どもの子守をしているために、頼られる存在として自分たちを認識していて、つまり「私たちはまだまだ現役!」だと思っている節がある。現に米10キロを自転車の荷台に乗せて買い物巡りをしていて、時折僕らを心配させた。もちろん、こうした覇気や元気は残してもらいたい。そのうえで、前期高齢者の仲間入りをしていることを伝え、家にあるリスク回避をしてより楽しく生活しましょう、ということを伝えた。
家の段差箇所を指摘し、滑る絨毯について言及し、カチカチに硬い風呂場のタイルの危険など、一つひとつ書き出した。
とはいえ、それだけだと足りない。僕や兄が着ていたトレーナーやTシャツを着ているような二人だ。自分たちのためにお金を使わない人たちなのだ、リフォームがいくら二人の安全性を確保すると説いても、最後の最後でしっくりとこないだろう。そう思い、コロナの状況でなかなか会えないこと、家での時間が二人にとっても、僕ら全員にとっても大切になるだろう、ということを話した。
電話はしなかった。特に母は、おっとりとしているが芯は固めに炊いた米のようにかたく、「なんとなくわかった感じ 」で動きたくない人。じっくりと納得するまで考え続ける。だからこそ、母と父のタイミングで何度でも読み返し塾考できるようにと、電話ではなくA4用紙をまとめた長い“説得書”という形を選んだ。レターパックに入れて郵送する。これは僕にとって、人生で書いた中で最も長い手紙だった。
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「お台所なんて、30年分の汚れがすごいの! だから、あそこもここもリフォームしなくっちゃ!」。半年以上経ってから「リフォームをする」と決めた両親は、当初は「〇〇と□だけ」と言っていたのに、進めるほどに拡大してゆくリフォーム計画。
いつのまにか僕ら夫婦のアドバイスやアシストなく、二人が主導で進めていくようになっていた。「コロナで〇〇ができなくなった」という気持ちが、二人からなくなってくように見えた。あんなに落ちきっていた肩が、元気に盛り上がっている。