ソファストーリーズ

滑らかな生地とソファと、
ミネストローネ

まるで地べたに座っているみたい、と思っていた。
なんとなく「ソファがある部屋っていいな」と思い、見た目で選び購入した“大売り出し中!”のソファは、かたくてごわっとしていて「ソファに座っているのに地べたに座っているみたいだよね」とせめて夫と笑い話にしたのだった。
そのソファはわりと長いこと私たちの部屋にあったが、ごわごわとした手触りがよそよそしいのかアパートを出るその日まで馴染みきれず仕舞いで、結局少しも寂しく思うことなくそのソファを手放した。そのことが寂しかった。
だからこそ、今回のマイホームに迎え入れるソファについて、私たちは真剣だった。なんとなく、ではダメなのだ。ソファに馴染むには「最初の手触り」が肝心。そう思いながらソファ探しを続けている矢先に、ふらりと立ち寄ったとあるソファ専門店で触れた生地で驚くほど良いものに出会った。が、なんせ真剣勝負、「念のため」と悩みながらいろいろと見ているうちに、その生地の取り扱いは終了していた。嘘でしょう… 絶対に、絶対に、あの生地がいい

あの滑らかな手触りの記憶を頼りに、私はインターネットでソファブランドを探しては生地を取り寄せ取り寄せを繰り返す。まるで幻の調味料を探すみたいに、触っては「これじゃない」と直感的な“利き生地”を繰り返した。
「こ、これだ!」と触りあてたのは、NOYESの“LA-4477-GBEグレイッシュベージュ”だった。とても細い繊維で織られたというスエード生地は耐久性もピカイチです。そうスタッフさんに教えてもらい、決めた。シンプルであたたかみのある部屋にしたいねと夫と揃えていた木目調のインテリアに、色合いも溶け込むようにパーフェクトだった。
・・・
届いたソファに触れたときのことを、なんて言葉にしたらいいだろう。生地だけで触れたときよりも、ソファとしての手触りはもっともっと滑らかだった。きめが細かくて、アイスクリームみたいな。いや、とろけるムースみたいな。日々の生活の中で、陽のあたり具合や角度の違いで生地がまったく違う表情を見せてくれることも発見だった。
そのやさしい表情のソファが思いがけないタフさを見せたのは、ソファが届いて数日後 、ある土曜の朝のことだ。
あまりにも上出来なソファに有頂天で、なにかとソファで新しいことがしてみたかった私は「 そうだ、ソファでスープを飲もう」と思い立った。仕事も休みの休日、朝からコトコト煮込んだスープをつくってソファでゆっくり飲むのだ。
土曜の早朝、眠い身体を「ほら、ソファでスープ飲むんでしょう」と半ば無理やり起こし、スープを作る。野菜とビタミンをしっかり取ろうとミネストローネにした。
できたてをお気に入りのスープボールに入れて、ソファに座る。ふうっと一息ふいて記念すべきひとくち。「ぽたり」。ここでまさか、スープがスプーンからするりと逃げ出した。煮込まれてとろりとしたその液体は、すべすべのソファの生地に夕立前の数滴みたいにぽたぽたっと落ちていった。アツアツのミネストローネ、その真っ赤な色とは裏腹に私の顔は青ざめていく。
なぜだか「3秒ルール!」という言葉が私の頭を駆け巡り、猛ダッシュでスープを布で拭き取った。そのかいがあったのか跡も残らず綺麗に落ちてくれた。よ、よかった…。生地をすすめてくれたスタッフさんの言葉が蘇る。ペットが爪を立てても無傷でいられるほど丈夫で、耐久性にも優れていますよ、と。我が家ではスープをこぼしても無傷でした、と伝えたくなった。
アパートの暮らしではどうしても地べたに座っていることが多くなかなか落ち着いてリビングにいることもなかったが、いまでは二人揃ってだらーっとしてはそのままスウスウ寝落ちしていることもしばしばだ。すべすべでしっとりとしていて、疲れた体にスーッと気持ちいい。
私のソファの記憶というのは、どうやら触覚にあるらしい。結婚前に姉と二人暮しをしているときにも革のソファがあり、真っ先に思い出すのは「太ももの裏と膝の裏がペタペタする」という夏の日の肌に触れた記憶だ。
このソファは真夏にもきっと気持ちよいのだろうと思うと、暑い日がたのしみになる。
お別れする日がうんと遠いように、手入れをしっかりしようと、もう見えなくなったスープのあとを撫でる。「大丈夫です」とも「お願いします」ともとれるような、つまりはいつも通りの滑らかさでつやつやとした表情のソファが、朝の光に輝いている。

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